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2009年10月01日 (木) | Edit |
多くは輸入に頼っていた硝石ですが、国内で生産もされていました。
国内での生産方法には古土法、培養法、幕末に伝わった洋式硝石丘法があります。

古土法は、一番最初に用いられた方法です。
古い民家の床下などでは、様々な動物の死骸や糞尿からアンモニアが生成され、
これが土壌中の硝化細菌によって酸化され、硝酸カルシウムとなって蓄積しており、
これを含んだ土を採集して、抽出、濃縮させた後、
灰汁で処理をすることによって、硝酸カリウム(硝石)を取り出します。

1557年には、毛利元就が家臣に出した書状に「塩硝熱させ候、然れらば其方馬屋の土しかるべき之由候間・・・・」とあり、
古土法を用いて、古い馬屋の土から硝石を採取していたとみられています。

古土法は日本の各地に伝えられ、江戸時代には各地の藩で硝石を生産しています。
ただ硝石の製法はどの藩でも機密事項でした。

古土法はいったん土を採集した後、同じところから硝石がとれるようになるまでには
20~30年を待たねばなりませんでした。

その欠点を克服したのが培養法です。
培養法は富山の五箇山(今回は早めにタイトルにたどり着いた^^)で発明されたのち
元禄時代に岐阜の白川郷へ伝えられたほかは、国内のどこでも行われておらず、
外国でもおこなわれていません。

古土法との違いは、古土法が硝石のもととなる土を探すことから始まるのに対して、
培養法では硝石のもととなる土を人工的に作ってしまうことにあります。
さらに、培養法では最初の土作りこそ4~5年またねばなりませんが、
その後は同じ場所から毎年硝石を作ることが可能でした。

培養法については1811年に五十嵐孫作というひとが製法について詳しく書き残しています。
それによると、民家の居間(囲炉裏あたり)の床下に穴をほり、
そこに稗がら、蚕の糞、タバコがら、そば殻、麻の葉、干した山草(よもぎ、サクと呼ばれる植物)、
水気のないホロホロの土をいれ、培養土をつみあげていきます。
春夏秋に土の切り返しと、蚕の糞、草などを追加して、硝化細菌の働きをまって
5年目に土を取り出し、塩硝の抽出・精製を行います。
あとは切り返し、追加を行い毎年塩硝を生産していきます。

注意して欲しいのはここに人糞の記述がないことです。他の記録にもありません

培養法では、ことさらに硝化細菌の働きをよくするために通気、乾燥に気をつかっており、
水気を含んだ人糞を用いることはありませんでした。
また、室内の生活空間であり、そういった場所で排泄物をおいては生活ができません。

ただ子供がそこにおしっこをすることはあったそうです。

五箇山の塩硝作りがいつから始まったのか、培養法がいつからはじまったのかは
定かではありません。
しかし、1570年に本願寺の僧が五箇山に塩硝作りを伝えたともいわれ、
同年には本願寺に五箇山の塩硝を寄進した記録や、
1572年にも本願寺に塩硝を届けた記録
1573年に加賀の一向一揆で五箇山の塩硝が使われた記録が残っているそうです。

個人的な想像ですが、1569年に堺が信長の手に落ちており、
これが本願寺の硝石の入手に関して少なくない影響を与えたことが、
翌1570年の五箇山で硝石を獲得する動きになったのではないでしょうか?
まぁよくわかんないんだけどね^^;

その2 おわり

るいす

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